正門前の聖母子像
この像は1979年12月から箕面市新稲にあった天使幼稚園の正門を入った右にありました。
幼稚園にある像は赤ちゃんのイエス様と聖母マリアが一般的ですが、幼稚園に通う子どもたちが健全な家庭で育まれるようにと、もう少し大きなイエス様と聖家族をイメージされて「少年イエスと母マリア」(長崎の中田ザビエル工房)を選んで設置されたそうです。また、天使幼稚園の関係者だけでなく、道行く人々にも親しんで覚えていただき、いつの日か心の支えになるようにとの願いがあったということを聞いています。
その天使幼稚園が2010年3月の閉園することになり、一時は解体されることになりかけていましたが、天使幼稚園の保護者の方々の強い願いもあって箕面教会に移転されることになりました。
教会のフロントガーデンの中に設置されたことによって、旧天使幼稚園の卒園生の方や地域の方々にも見ていただくことができ、初代園長先生の「道行く人々にも親しんで覚えていただき、いつの日か心の支えになるようにとの思い」が今も継承されています。
バンヌーの聖マリア(貧しき者の聖母)
この聖母像は、1933年にベルギーのバンヌー村に住むマリエット・ベコーに現れた聖母で、「貧しき者の聖母」と呼ばれています。
当初この像は、1970年頃、能勢町にあったフランシスコ会の施設にベルギーから送られることになっていましたが、その施設が火災で焼失したため桜ヶ丘の旧箕面教会に設置されることになりました。その後、旧箕面教会を引き継いだマリア園が閉鎖されることになり、2005年4月にここに移されたものです。
鐘楼
鐘楼には2つの鐘があって、毎日午後6時には美しい音色を響かせています。
この2つの鐘は、1957年にドイツで製作され、当時桜ヶ丘にあった箕面教会に贈られたものです。それは、フランシスコ会サクソニア管区の学校で、ハインリッヒ司祭の出身校 Gymnasium St.Ludwig,Vlodropと、元同会サクソニア管区の学校、フベルト司祭の出身校 Gymnasium Petrinum,Dorsten の生徒たちの援助によって実現しました。それぞれの鐘には「山よ丘よ主を讃えよ」、「さくら咲く大和をキリストに」と刻まれています。
聖堂
聖堂の十字架
この十字架は、ゲルベルト司祭が1970年にドイツから箕面教会(桜ヶ丘)に送って下さったものです。1988年にフベルト司祭はこの十字架を新しい聖堂(坊島)に移しました。十字架についてゲルベルト司祭の説明があります。「この十字架は箕面教会の聖堂のためにドイツのムンスターにあるフランシスコ会修道院のガンドルフ修道士がイエズスのご像と十字架を自分で作られて、このたび箕面教会へ送ってくださいました。この十字架はガンドルフ師が銅を材料としてご像を作られ、また十字架は焼物(七宝焼)にして美しい色を出して作られたものです。まことにキリスト教的美術品と言えるでしょう。」十字架のスタンド、聖櫃と祭壇などは師イエズス修道女会Sr.北爪(東京)の作品です(1988年)。
モルタルレリーフ
このレリーフは「信仰の喜び」を表わすことをテーマにした壁画です。いずれも当時長崎純心大学教授・本田利光先生の制作によるものです。
◇旧約聖書の「マンナ」
◇新約聖書の「パンの奇蹟」
アッシジのフランシスコの「太陽の賛歌」
保護のマントの聖母
このご像は1960年~1999年、旧箕面教会(桜ヶ丘、現在マリア園)の玄関正面に掛けていました。これはウィッテ司祭がドイツのWiedenbrueckから持って来られました。 作者:美術家クライネルト師(KLEINERT)1960年作
十字架の道行き
十字架の道行は、イエス・キリストの受難をしのび、黙想する信心です。
各留にとどまり、しばらく黙想し、順次回っていきます。
製作者:長崎純心大学教授 本田利光先生(1988年)
小聖堂
平日の6時30分のミサ、金曜日の10時のミサ
祈りの集いなどが行われます。
「聖パウロ三木」の肖像画
<聖パウロ三木>
日本二十六聖人の一人
イエズス会員
生年不詳 33歳で殉教
1957年2月5日(慶長元年12月19日)大坂で捕縛される。
秀吉の命により、長崎の西坂で処せられ殉教する。
聖パウロ三木の肖像画は、京のカトリック画家として活躍した岡山聖虚画伯(1895年-1977年)の作品です。バチカン博物館収蔵の『日本26聖人図』の他多くの作品を世に送ったが、空襲で焼失したり行方が分からないものが多く、箕面教会の『聖パウロ三木』は、国内に残る同画伯の僅かの作品のひとつで貴重なものです。
この聖パウロ三木の肖像画は、洗礼名がパウロ三木である箕面教会の主任司祭であった和田幹男司祭が箕面教会から関目教会に移られる時(2013年)に寄贈してくださったものです。
箕面教会が創設され、発展してきたのは、フランシスコ会によるものが大きく、日本二十六聖殉教者の中にも聖ペトロ・バプティスタはじめ数名のフランシスコ会の神父、修道者、その指導を受けた信徒が多数いたので、フランシスコ会へのお礼の心と将来、箕面教会からも司祭、修道者への召命がありますようにとの和田司祭の願いが込められています。
キリシタン禁教令の高札
慶応四年(1868年)すなわち明治元年に討幕を果たした明治維新政府が、太政官令として掲示したキリシタン禁制の高札です。松の一寸板と杉材の笠部で作られています。
この高札は、禁制の解ける明治六年までの六年間実際に掲札として用いられたものであると思われます。