カ ト リ ッ ク信 者 の処 方 箋
詩編を祈る、詩編で祈る
主任司祭 矢 野 𠮷 久
年明けにとても辛い出来事が起きました。能登半島地震。元旦の夕方 報道で知り呆然とし言葉もありませんでした。「なぜ」という思いだけです。そして被災された方々のために祈るよりほかありませんでした。
悲しみと絶望の姿を拝見し、また亡くなられた方々のことを思い、イザヤ書の二つの個所がよぎりました。
「見張りの者よ、今は夜の何どきか。見張りの者よ、夜の何どきなのか。」
見張りの者は言った。
「夜明けは近づいている、しかしまだ夜なのだ。」 (新共同訳 12 章 11-12)
また人生を突然断ち切られた方のことを思いながら
「わたしは生涯の半ばで、死の国の門に入る。残された年月はもう失われた。わたしは生きている人々の国で神を見ない。死の国に住む者とともに、ふたたび人を見ることはない。わたしのすまいは牧者の天幕のようにひき抜かれ、わたしから取り去られた。わたしのいのちは織物のように巻かれ、
たて糸は断ち切られた。」 (典礼訳 38 章 10-12)
こんな時、何を思いどう祈れば良いのだろうかと思案していたら、ふと私が神学生の時(50 年も前)霊的
指導司祭であった沢田和夫神父の教えがよみがえって来ました。「詩編を祈る、詩編で祈れ、詩編から祈りを学べ。」と。そして「詩編を祈る時苦しんでいる人は、自分のこととして。いま苦しんでいない人は、苦しんでいる人のことを思って。きっと聞き入れられます。」と。師は『キリストを待つ』という本で困っている“貧しい人の祈り” としていくつかのふさわしい詩編を紹介して下さっています。私はその詩編をひとつふたつゆっくり祈り地震の被災者に思いを馳せています。皆さんにもその詩編の個所を分かちます。
詩編 3. 6. 11. 33. 34. 37. 38 .51. 69. 103. 113. 116. 124. 127. 130
ご自分の聖書で詩編のところを開き祈ってみましょう。少しでも被災された方々に心を寄せ祈ることが出来たらいい。十字架(苦しみ)の先に復活(再生)のあることをかたく信じて。
詩編のことこれから少しづつお話しします。
カ ト リ ッ ク信 者 の処 方 箋
塀の中の小さなクリスマス
-あなたのために私は生まれた-
主任司祭 矢 野 𠮷 久
主イエス・キリストの降誕を待ち、その準備をする待降節(アドベント)に入りました。
キリスト教徒の少ない日本でもこの時期、街の中にイルミネーションが美しく輝き、クリスマスの雰囲気を盛り上げています。しかし、クリスマスがイエス・キリストの降誕のお祝いである事を知る人は少ないのでしょう。
さて、待降節に入るとクリスマスまでの約四週間、キリスト教系の学校や病院・福祉施設などでさまざまなイベントが催されます。街頭でもクリスマス・キャロルが聞こえてきます。ちなみに 12 月 10 日の午後、阪急箕面駅前で市内のキリスト教諸教会が合同でクリスマス・キャロルを歌います。
私が教誨師としてかかわっている刑事施設(拘置所・刑務所・少年院など)でもクリスマスが近づくと、クリスマス会と名づけられた受刑者のためのクリスマス礼拝が行われます。宗教行事はキリスト教以外にも仏教はお盆やお彼岸に法要を、神道は大祓式を行います。日本は信教の自由が保証されているのでこれらの儀式への参加は全く自由です。
私は毎年大阪と尼崎の拘置所でクリスマス会をします。沢山の収容者が喜んで参加してくれます。いつもは殺風景な施設ですが、会場の講堂のステージには大きくて立派なプレゼピオ(馬小屋セット)と 2m近くあるクリスマスツリーが飾られ、また祭壇には十字架と聖母マリアの御絵が置かれ 6 本のローソクが灯されます。施設の方々もなんとかクリスマスの雰囲気を収容者に味わわせたいとの思いが感じられます。その中で聖歌を歌い、聖書の朗読を聞き、キリストのことを伝えられます。そして参加者は、世界や日本のため、被害者のため、その家族のため、自分が迷惑をかけた人々のため などなど真剣に祈ります。とても素朴なクリスマス会ですが毎年のクリスマス会で私はいつも深い感動を覚えます。あやまちを犯して塀の中に落ちた人たちですが、目を大きく見開いて、耳をそばだてて、全身でイエス・キリストのことを知ろうとしています。もう一度塀の上を歩きたい、人生をやり直したい、そんな顔が見られます。人間は誰でも拘置所や刑務所の塀の上を歩いているようなものです。何かのはずみ、何かが重なって塀の中に落ちることがあります。そのような人のためにイエス・キリストは言っています。
「あ な た の た め に 私 は 生 ま れ た」
マタイ 9・13
マルコ 2・17
ルカ 5・31-32 , 19・10
※教誨師 刑務所などに収容されている人との対話を続けています。
カトリック信 者 の処 方 箋
堅信について(つづき)
主任司祭 矢 野 𠮷 久
主聖堂のステンドグラスが完成しました! 5年の歳月をかけて。祈りの場の雰囲気がより深くなったように思えます。
はじまりは、教会の倉庫から“二羽のすずめが木枝にとまっている”一枚のステンドグラスの発見からです。おそらくそれは教会が桜ヶ丘にあった時、修道院のどこかの窓に飾られていたのではないかと思われます。
ステンドグラス発見にうながされて、聖堂にステンドグラスがあったら素敵だろうとの思いが信徒の有志の方々から起こり、製作のためにプロジェクトが立ち上がりました。プロの作者に依頼するのではなく、すべてを信徒の手で作る。費用も教会の一般会計から支出するのではなく、信徒の方々の寛大なご厚志を期待し集める。たくさんの方々が協力して下さいました。具体的に製作が始まったら日曜日のミサ後信徒会館で、老いも若きも色ガラスを一枚一枚張り合わせる作業を一生懸命になってして下さいました。
そして何よりもこの完成のために大きな働きをして下さったのは、奈良教会の信徒 横岩敏行さんです。
この方がいらっしゃらなければステンドグラスの完成を見ることは出来なかったでしょう。材料の仕入れから始まり、技術指導をして下さり 初心者や子供たちも作業ができるようになりました。平日も折り折りに遠くから来て下さり裏のガリラヤの家で作業をして下さっていました。ステンドグラスの大きな恩人の方です。
ありがとうございます!!
ところで、今年は箕面教会創立 70 周年に当たります。それを意図してステンドグラスを作ったのではありません。期せずしてです。しかし、色ガラスを一枚一枚張り合わせ完成させてゆく作業と、教会(信仰共同体)づくりはどこか似ているような、重なるような気がしてなりません。
1953 年 5 月 17 日如意谷にあった聖母被昇天会の修道院聖堂で ルカ・ベルトラン神父(ドイツ・フルダ管区フランシスコ会士)によって一人の赤ちゃんに洗礼が授けられました。箕面教会の始まりです。その後ドイツ・サクソニア管区のフランシスコ会士の司祭・修道士方が宣教と司牧のお世話をして下さいました。大変お世話になりました。2000 年春から大阪教区の司祭がそれを引き継ぎ現在に至っています。
建物としての教会は聖母被昇天会の聖堂を仮教会として誕生し、桜ヶ丘そして坊島へと移りました。
洗礼台帳を見ると 70 年間に 1167 名の方が洗礼を受けておられます。そして転入・転出・その他で来られた方、去られた方、帰天された方がおられ、人の流れ動きがあり 現在 627 名の信徒の方が箕面教会に属しておられます。しかし洗礼や信徒の人数は重要なことではないのです。ダビデ王は民の人数をかぞえて神様に叱られました。(サムエル記下) 覚えておかなければならないことは皆さん一人ひとりが生きるのに必死であり、切実な人生を歩んでおられる、あるいはおられた(帰天者)ということです。〇〇さん、〇〇さん。ひとりひとりがいます。人は数えられないのですね。皆さんその時その時に神様の「風」「息吹」(聖霊)に吹かれて箕面教会とかかわり、ご縁ができました。そして信仰という色ガラスを一枚ずつ神様から贈られたのです。沢山の色ガラスであればあるほど教会は豊かな色あいになってゆきます。聖堂のステンドグラスは完成しましたが箕面教会の信仰の共同体はまだまだ完成への途上にあります。
11 月に司教様を迎えて堅信式が行われます。10 名ほどの方が司教様から堅信の秘跡を授けられ、神様の風、息吹である聖霊の恵みを頂きます。生きてゆくのに必死で切実な人生をキリストへの信仰に支えられて歩んでゆくのです。そして信仰の共同体である教会の一員としてその共同体の完成のための一翼を担うのです。自分の色ガラスを一枚持って。
2023年 8月号 巻頭言より
カトリックの処方箋
堅信について(つづき)
主任司祭 矢野𠮷久
先の『かしの木』に堅信の秘跡について書き始めました。この秘跡は信仰の歩みを助け、守り育てて下さる聖霊の恵みを頂き、また幼児洗礼の方にとっては、カトリック信者として公に信仰を宣言(信仰告白)する機会であると申しました。カトリック信者として大人の信仰への第一歩であり、洗礼の完成でもあるのです。信者としての使命を自覚し、教会の一員としてその役割を担ってゆきます。神の愛の息吹(聖霊)の中で、神と隣人のために自分自身をささげ、愛による成熟を目指し力を注げるようにとの望みのうちにこの秘跡を受けるのです。
しかし聖霊の恵みとか賜物と言われても聖霊は目に見えない、神の目に見えない霊なのでよく理解出来ないのが正直なところです。では聖書は聖霊についてどのように語っているのでしょうか。
旧約聖書はヘブライ語、新約聖書はギリシャ語で書かれています。聖霊に訳されている言葉はヘブライ語では「ルッアッハ」ギリシャ語では「プネウマ」この言葉を文章の流れの中で、日本語の聖書は、聖霊、神の霊、みたま、息、風、息吹などと訳しています。
「はじめに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。」創世記1.1
「主なる神は土のちりで人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。」創世記2.7
「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか知らない。」ヨハネ3.8
「(その時)突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。」使徒言行録2.2
目に見えない神の霊である聖霊について聖書は上記以外にも多くのイメージを示し伝えようとしています。聖書を祈りながら読み一人ひとりが想像力を豊かに受け取ってゆきましょう。
私は聖霊のイメージを風として想っています。少年時代、堅信を受ける前の勉強会でこんな唱歌を教えてもらいました。
誰が風を見たでしょう?
僕もあなたも見やしない
けれども木の葉をふるわせて
風は通り抜けてゆく
西条八十:訳
私にとって聖霊はこのようなものであり、風のように私を吹き抜けてゆく。そう信じて司教様の前に立ち堅信の秘跡を受けました。
(つづく)
☆11月12日には、酒井補佐司教様より(現在のところ、大人3名、中学生6名)堅信の秘跡を受ける予定です。
2023年 6月号 巻頭言より
カトリックの処方箋
堅信について
主任司祭 矢野𠮷久
箕面教会は今年の11月12日 酒井俊弘司教様をお迎えして堅信の秘跡を授けて頂きます。
カトリックの洗礼を受け、まだこの秘跡を受けておられない中学生以上の全ての信者の方が受けることができます。まだ受けておられない方はぜひこの機会にお受けになることをお勧め致します。堅信を受けたかどうか定かでない方は主任司祭にお問合せ下さい。
カトリック教会は信者の皆さんがこの秘跡を受けられることを切に願っています。そのために堅信のことを理解して頂くことが大切と思い、この秘跡についてお話をしたいと思います。
先ず、秘跡とはなんでしょうか。それは「目に見えない神の恵み」を「目に見えるしるし」を通して人々の与えるもので、イエス・キリストに由来し、制定されました。秘跡は 洗礼、堅信、聖体、ゆるし、病者の塗油、叙階、婚姻の7つあります。今回はその中の堅信について学びます。
堅信とは、「信」を「堅める」と書きます。これだけでもなんとなく意味はつかめそうです。
成人洗礼の方は入信の時、洗礼と堅信を受け、イエス・キリストに結ばれ神の子となり教会の一員となります。そして「いのちのパン」である聖体に養われ信仰生活を歩んでゆきます。
一方 幼児洗礼の方は、親と教会の望みの中で幼い時に洗礼を授けられます。キリストの教えが少し理解できる年齢になったころ初聖体式を通して(小学2年生ごろ)聖体を頂きます。そして、親と教会の望みによって与えられたキリストへの信仰を 自分で受けとめ、信じる決心ができたらその信仰を一層「堅め」キリストの弟子として歩き始めます。そのために堅信の秘跡を通して信仰の歩みを助け守って下さる聖霊の恵みを頂くのです。幼児洗礼の方にとって堅信の秘跡は本人の信仰宣言の意味もあります。
堅信の秘跡で聖霊の恵みを頂くと申しましたがそれはどう理解すれば良いのでしょうか。
(つづく)
かしの木 2023年 4月 巻頭言より
カトリックの処方箋
聖なる過越の三日間への招き
主任司祭 矢野𠮷久
カトリック信者にとって一年で最も大切な“聖なる過越の三日間”が訪れます(今年は4月6日日没から9日) 。灰の水曜日(2月22日)から始まった四旬節を通してその準備をして来ました。この準備は遠い準備です。近い準備は、主のエルサレム入場を記念する受難の主日(枝の主日とも呼ばれます)から始まる聖週間です。それは聖木曜日の日没まで続きます。その週の水曜日の午前中、司祭達は司教座聖堂に集まり大司教と共にミサの中で三ツの油を聖別、祝別します。司祭叙階や堅信の秘跡のための油、聖香油の聖別、洗礼志願者のための油と病人のための油の祝別。司祭はこの三つの油を持ち帰り、一年間祭具室に保管し必要に応じ塗油のために使います。
聖木曜日の日没からいよいよ聖なる過越の三日間が始まります。聖木曜日は聖体制定の記念である主の晩餐のミサと聖体礼拝。この礼拝中、ゲッセマネの園でのイエスに思いを馳せ、裁判、むち打ち、あざけり、弟子たちの裏切り等を心で深く思い祈ります。
聖金曜日、ミサはありません。夕方、主の受難の祭儀で聖書朗読、ヨハネの受難の朗読があり、十字架の礼拝が行われます。
聖土曜日、典礼行為は教会の祈り(聖務日課)を唱えるのみでミサもありません。
日没とともに復活徹夜祭です。一年の典礼歴での頂点となるものであり信仰の源泉とされているものです。火と水の祭儀、聖書朗読、洗礼式、感謝の祭儀。翌朝の日中ミサへと続きます。
受難の主日から復活の主日まで、とりわけ聖なる過越の三日間の典礼は、イエス・キリストのご受難、ご死去、ご復活を追体験するものです。そして自分の人生と重ね、心に想いめぐらし「これが私の人生」と肯定してゆくためのものと思います。ゆえに毎年まいとし聖なる過越の三日間の典礼を教会は大切にたいせつに行い皆さんを招いているのです。典礼を通してイエス様から学びその後をついてゆく事を学んでゆきましょう。
カトリックの処方箋
きょう、神の声を聞くなら、神に心を閉じてはならない。
詩編95
主任司祭 矢野𠮷久
復活の主日から数えて46日前の水曜日は「灰の水曜日」と呼ばれ、私たちはこの日から四旬節に入ります。回心、償い、断食(節制)を心がけながら主イエス・キリストご受難、ご死去、ご復活を記念する「聖なる過越三日間」の準備をします。今年の復活の主日は4月9日なので、その46日前は2月22日になります。
四旬節中6回の主日(日曜日)があり、主日は古来より小復活祭と呼ばれ断食(節制)をしない習慣があります。40という象徴的な日数を満たしたいと思ったキリスト者たちは46日前の水曜日から四旬節に入ることにしたようです。40日は主イエス・キリストの荒れ野での体験、祈り、断食、サタンからの試み(マタイ4・1-11、マルコ1.12-13、ルカ4.1-13)に由来します。40という数は旧約時代から象徴的な意味を持っていました。代表的なものはエジプト脱出後イスラエルの民は約束の地に入るため苦しい試みの旅をした。(出エジプト記)
キリスト者は主イエス・キリストの荒れ野での祈りと断食に倣いたいとの思いから古代教会の時代から四旬節には普段より熱心に祈りと断食を行うようになりました。
灰の水曜日は平日なので多くの信者の方はその日のミサとミサ中に行われる灰の式に参加することは出来ませんが、その日のある時に灰の式で司祭が会衆の額に灰をつけながら言う言葉「あなたはちりから取られたのだから、ちりに帰るのです」「回心して福音を信じなさい」を心の中で念じ、四旬節に入って下さい。そして時間があればその日の聖書の個所を読んでみてはいかがでしょう。
教会は四旬節の始まりにあたって、今一度自分たちの信仰に立ち返るため、神との関わりを説く三つの個所を朗読に選んでいます。
ヨエル2章12-18節
Ⅱコリント5章20-6章2節
マタイ6章1-6・16-18節
カトリックの処方箋
意味ある偶然を体験した人
― キレネのシモン ー
主任司祭 矢野𠮷久
私たちは、「たまたま」に「偶然」にある人や出来事に遭遇することがあります。そこから人生が大きく変わってしまう人がいます。聖書に登場する人物にもそのような人がいます。キレネのシモンという男もその一人です。
シモンはイエスを見たいとも、教えを乞いたいとも思っていなかった。マルコ福音書はイエスが十字架を担って歩いている時に「そこへ、アレキサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が田舎から出てきて通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。」と短く書いています。(マルコ15.21)シモンは何か用があってエルサレムに来ていたのでしょう。たまたま、十字架を担いで処刑場に行くイエスに遭遇し、しかもその十字架を強いられてイヤイヤ担ぐはめになってしまったのです。シモンは見ず知らずの男の死刑に巻き込まれてしまったのです。ただの通りすがりだったのに。
亡くなられた高松の溝部神父様はこの時のシモンについて「イエスの喘ぐ呼吸とか、汗臭い体臭とか、流れている血の汚れとかを全部感じとった」と述べておられます。(『青年と読むマルコ福音書』 P.239 ドンボスコ社)
シモンはイヤイヤながらゴルゴダの丘まで十字架を担いでイエスに付き合いました。きっと迷惑そうな顔をしながら。そして困惑しながらもイエスの処刑に居合わせることになったのでしょう。その後キレネのシモンがどうなったのかは福音書には何も書かれていないのです。
ところが、彼の妻とその息子について、パウロがローマの信徒への手紙の中でこう書いています。「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女は私にとっても母なのです。」(16.13)シモンの家族はローマに住み着いていました。おそらくシモンはエルサレムからキレネに帰り(ちなみにキレネは北アフリカ.リビアの地中海沿岸の港町)自分が体験したイエスの死と復活の出来事を家族に話したことでしょう。そして信仰の芽ばえが起こり、やがて一家はローマに移り住み、キリストを信じる群れの中で生きるようになったのではないか。妻はその群れの中でお母さんのような存在であった。パウロにとっても懐かしいお母さんのような人だった。
シモンは、たまたま、偶然に、しかもイヤイヤ イエスの十字架を担いだだけでした。しかしこの出来事が彼の人生に決定的な方向転換をもたらすものとなりました。臨床心理学者の河合隼雄先生はそのことを「意味のある偶然」と呼び、「偶然、向こうから何かがやってくるという不思議な現象が起こる」と言われました。
キレネのシモンだけでなく、私たちも人生の途上で偶然イエスと出会い、古い人を脱ぎ捨て新しいいのちに生きる人となるために招かれています。そのことを改めて想いめぐらし聖週間の聖なる三日間を過ごし、主の復活を迎え祝いましょう。
2022年2月号 巻頭言
カトリックの処方箋
マザー・テレサの黙想のヒント
主任司祭 矢野𠮷久
年末に執務室の机の上や本棚、そして溜まっていた書類を整理していました。神の国ならぬ紙の国となっている私の執務室です。するとその書類の中から、私が長い間捜していたプリントがひょっこり出てきたのです。20年程前、東京教区の粕谷甲一神父様が「さんかの会」という集まりでお話をされた時のプリントです。そのお話の中で「マザー・テレサの黙想」がとても良かったのでその部分だけ大切に持っていたのですがいつの間にか行方不明に。この度の発見はとても嬉しいものでした。そこでそれを箕面の皆さんにも分かち合いたいと思いました。
マザー・テレサが生涯に渡ってされた数々のこと。最も貧しい、見捨てられた人々への奉仕のことは皆さんもご存じでしょうから書きません。ただ彼女の生涯はどれ程の無理解と反対、摩擦や抵抗があったことか。沢山の試練もありました。その中にあって彼女がカルカッタ(現コルコタ)の孤児の家の汚い壁に書いた言葉 ”Anyway” (でもとにかく) が残されています。粕谷神父様はそれを紹介して下さった。 壁にはこう書かれているそうです。
◍ 人は道理に合わず、非論理的、利己的になりがちです。
いきり立つな、自分もその「人」の一人です。
Anywayでもとにかく、気にしなさんな 人を愛しなさい。
◍ あなたがいいことをしても、あなたを利己的な人だとか、野心を持つ人だと言うでしょう。
Anywayでもとにかく、気にしなさんな いいことを続けなさい。
◍ あなたの長い努力が生んだよい実りも、人に無視され、明日には忘れ去られるでしょう。
Anywayでもとにかく、気にしなさんな 努力を続けなさい。
◍ あなたが誠実で正直であるためにあなたは傷つけられるでしょう。
Anywayでもとにかく、気にしなさんな 誠実で正直でありなさい。
◍ 人々はほんとうに助けを必要としています。
しかし、助けてあげてから恩知らずな仕打ちを受けるでしょう。
Anyway でもとにかく、気にしなさんな 世の常だ 助けてあげなさい。
◍ 持ち物の中で、一番いいものを人にあげなさい。
でも面と向かって苦情を言われるかもしれません。
Anyway でもとにかく、気にしなさんな 持ち物の中で一番いいものを与えなさい。
マザー・テレサ自身が経験したことから「黙想のヒント」が生まれました。私たちはマザー・テレサではありませ
ん。同じように生きることは出来ません。しかし人から不当に扱われたり、誤解をされた時、自分を弁護できない
時マザー・テレサの言葉は本当の力と勇気を与えてくれると思います。そして十字架の上のイエス様に通じ導いて
くれると信じます。「マザー・テレサの黙想」 まさにカトリック信者への処方箋です。
アドベント・クランツ と プレゼピオ
主任司祭 矢野𠮷久
待降節に入り、ご降誕祭前の四週間。主日ごとにローソクが灯されてゆきます。ドイツから始まった習慣なのでドイツ語でアドベント・クランツと言います。常緑樹で作る 待降節の環(わ)のことです。 4 本のうち 3 本のローソクは白でも紫でもいいのですが三番目に灯すローソクはバラ色にすることが望ましいとされています。 1 本目は「悔い改めと希望」 2 本目は「平和」 3 本目は「 羊飼いのローソク」と呼ばれ「喜び」を表しバラ色を使います。 待降節 第三主日は「ガウデーテの主日」と言い典礼は祈りも聖書の個所も喜びを表します。私は子どもの頃このローソクが灯されると「おん子さまのご誕生がもうすぐや!」とわくわくしたものです。そして 4 本目は「愛」。4 本のローソクはクリスマスの意味を指し示し教えてくれています。
今年箕面教会のご降誕の「馬小屋」は新しくなりました。聖堂の祭壇近くに置かれるこの馬小屋は 800 年程前イタリアのアッシジの聖者フランシスコによって始められたと言われイタリア語でプレゼピオと呼ばれます。新しくなったプレゼピオは東京にある 師 イエズス会の修道院 でシスターが作った焼き物です。 外国の物とは異なり派手さはありませんが、しっとりと落ち着いた感じのものです。
宿泊所、居場所がなく旅先で生まれた幼いイエス様を中心にマリア様とヨセフ様、その傍らに牛とロバ。これはイザヤ書の「牛は飼い主を知り、ロバは主人の飼い葉桶を知っている。しかしイスラエルは知らずわたしの民は見分けない」( 1 章 3 節)に由来します。
最初の訪問者は羊飼いと羊たちです。彼らは地の民(アム・ ハーレツ) と呼ばれ卑しい人たち、差別されていた人たちでした。この人たちはきっとマリア様のお産の手伝いもしたことでしょう。
次にやって来たグループは、はるばる遠い東の国から来た賢者たち。この人たちもユダヤの人々から見れば、いかに賢者であっても異邦人であり、神様の救いにあずかれない哀れな人々なのです。しかしこの賢者たちは生きる道を求めて、荒れ野や砂漠を超え、強盗や野獣の危険を冒してまでもやって来たのです。黄金、乳香、没薬という高価な贈り物を持って!クリスマス ・ プレゼントの習慣はここから始まった。 自分にとって良いもの、大切なものを贈る。この賢者たちはイエス様と出逢って、帰る時は来た道とは違った道を通って帰ったとマタイは伝 えています。(マタイ 2 章 12 節)イエス様と出会い生き方が変わった最初の人たちです。
新しいプレゼピオの前で、しばし黙想し、世界のすべての人のために平和を、しあわせを祈りましょう。人々のために祈るのは洗礼を受けた者の大切なつとめなのです。プレゼピオを新調した意味もそこにあります。
10月号 かしの木 巻頭言
カトリックの処方箋
“ヨセフ年” 残り二か月
主任司祭 矢野𠮷久
昨年12月8日から“ヨセフ年”が始まっています。なぜ教皇フランシスコがこの時期に“ヨセフ年”を定められたのか。今から150年前に遡ります。時の教皇ピオ9世が1870年12月8日、イエス・キリストの養父、マリアの浄配であるナザレのヨセフを「カトリック教会の保護者」と定め宣言されたことに端を発します。その背景に当時、ヨーロッパを中心に世界を覆いつつあった倫理観の大きな変革があった。イギリスの産業革命、フランスの革命、マルクス・エンゲルス『共産党宣言』、ダーヴィンの『種の起源』による進化論その他諸々。教会の内外はたきな困難が山積であった。それに伴う人々の不安。丁度今放映中のNHK大河ドラマ『晴天を衝け』の渋沢栄一が活躍した時代と重なります。全世界の司教方は教会の大きな困難に直面し、聖ヨセフを教会の保護者に定め、ヨセフに教会を守って下さるようにと教皇ピオ9世に願った。それに応えて教皇は聖ヨセフを「教会の保護者」と」宣言された。
それから150年、21世紀を歩んでいる私たちも大きな困難と変革の時を迎えています。地球の温暖化による自然破壊の変化、とりわけ気温の上昇することへの不安、人間の過剰な欲望が地球の自然や生態を大きく変えてしまった。金、物、人を集めることが良いと評価され、また貧富の差の拡大。
世界中が困難と不安の只中に在り、どう生きれば良いのかと思案に暮れています。そのような私たちに教皇フランシスコは、今一度聖ヨセフに目を向け、その生き方に倣えと私たちを励まされ“ヨセフ年”を宣言されたのです。
ヨセフは福音書(マタイ1~2章、ルカ1~2章)によれば普通の人でした。しかし自分の人生において理解し難い出来事、困難に出会った時逃げなかった。受け容れ、引き受けた。イエスとマリアを守り、しっかり働き、養った。優しいと同時にタフであった。タフとは「非
常に体力があって、少しぐらいのことではへこたれない」と小学館・国語大辞典にあります。タフなヨセフに倣い、ヨセフに祈りつつこの困難な時代を乗り切ってゆきましょう!
新約のナザレのヨセフの先駆けとなった旧約のヤコブの息子ヨセフについても、ナザレのヨセフと重なる興味深い物語りが創世記37章以下にあります。ご一読を。
教皇フランシスコのご意向ご指導のもとヨセフ年の残りの日々を過ごしましょう。
カトリックの処方箋(9月号)
主任司祭 矢野𠮷久
コロナウイルス感染症の猛威は収まりません。世界が何となくノアの箱舟になったような感じです。
7月の『かしの木』に 献金についてこれから学びましょう と書きました。その後プロテスタントの友人から、「コロナは長引きます。少なくとも1~2年はかかるでしょう。そうなるとつぶれる教会も出てきますよ」と言われ、「教会がつぶれる?!」とびっくりしました。カトリックとプロテスタントではいろいろ事情も違い一概には言えませんが、同じように信者の方々の献金によって教会は支えられています。
私たちのカトリック箕面教会の現実も厳しいものがあります。毎年教会への献金額は少なくなっており、今年はそれに加えて3カ月も公開ミサが行えず献金は大きく減りました。(信徒集会用の資料、特にP21~P28をよく読んで下さい)
献金は献げものです。何を献げるかという姿勢が問題です。精一杯の真心を献げる姿勢があれば、おのずと形に現れてくるものです。聖書に献げ物についての記述がはじめて出てくるのは創世記4章 カインとアベルの兄弟の献げ物のお話しです。二人の献げ物の真心を問う主なる神、そしてその後の兄弟のトラブル。献げ物(献金)は真心と意向が大切です。このことに無関心であってはいけないのです。旧約聖書によれば献げ物は神様の恵みに対する人間側の応答なのです。「土地から取れる収穫の十分の一は、穀物であれ、果実であれ、主のものである。それは聖なるもので主に属する」(レビ記27章30節)このゆえに「イスラエルの人々は穀物、ぶどう酒、油、蜜など畑のあらゆる産物の初物を大量にささげ、また あらゆる物の十分の一を大量に運んで来た」(歴代誌下31章5節)とあります。これにならってプロテスタントでは十一献金と言って、収入の十分の一を先ず神様に献げる方も多くいらっしゃるそうです。カトリックではそれ程まで強く言いませんが、その心意気はならいたいものです。さて新約聖書では献げ物(献金)についてどう言っているのでしょうか、次回に。
カトリック信者の処方箋(7月号)
主任司祭
矢野 𠮷久
新型コロナウィルス感染拡大のため、三ヶ月余りの間私たちはミサにつどうことが出来ませんでした。 6 月に入りようやくミサが公開され、主日ごとに教会につどいミサを捧げることが出来るようになりました。教会に来ることが出来ず、ミサや秘跡に近づくことが出来ないという今までとは異なった信仰生活からやっと解放されました。教会が完全に元の姿に戻るためにはまだまだ時間が必要でしょうが、何はともあれ皆さんとミサを守り祝えることは嬉しいことです。
さて、“カトリック信者の処方箋“と題して教会の定めた掟について学んできましたが、今回か ら数回に渡ってその5番目「おのおの分に応じて教会財政を助けること。」すなわち献金・維持費についてその基本になる考えを学びたいと思います。
地上を旅する教会は天上のことを思うだけではなく、地上のことにも配慮しながら旅を続けています。宣教や司牧といった教会活動には活動経費が、また電気、ガス、水道といった必要経費も支払われなければなりません。教会はそのすべてを皆さんの献金によってまかなっています。収入は献金のみでありそれ以外にどこからも入金はありません。バチカンのローマ教皇庁からも諸外国からも送金はありません。
献金の主なものは、ミサ中の堂内献金、維持費と呼ばれる月定献金、特定の意向によって納められる特別献金があります。教会はこれ等の献金によって運営されています。
献金について正しく学びましょう。信仰生活への問いでもあり見直しにもなります。聖書や教会の伝統から学びましょう。
カトリック信者の処方箋
主任司祭 矢野𠮷久
コロナ禍に在ってキリスト者としてどう歩むのか
2020年は新型コロナウイルス感染症に振り回された一年でした。その新型コロナは年を超え、2021年はこのコロナウイルスと共に明けました。目に見えない存在だけに余計に厄介で怖いものです。
聖書には悪魔とか悪霊についての話がよく出てきます。「サタン」の訳ですがその意味は「試みる者」「引き裂く者」という意味があります。」人に試練を与え、人と人をしいては神と人を引き裂く黒い、しかも強い力として聖書に登場します。コロナの存在、働きも実にサタン的であります。パリ在住の作家 辻仁成さんがその著書『なぜ、生きているのかと考えてみるのが今かもしれない』(あさ出版)の中で「このウイルスの正体は人間を引き裂く悪魔なのだ。このウイルスは簡単に言ってしまえば人間と人間を引き裂く兵器のようなもの……」(P141以下)と言っています。私も全く同感で、コロナの本当の恐ろしさはここにあると思うのです。
コロナ禍でよく言われる“ソーシャル・ディスタンス”という言葉も気になります。「社会的距離」と訳され、この用語が一般に使われていますが、正確には“ソーシャル・ディスタンシング”と言われ「社会的・物理的距離の確保」なのです。私たちが気をつけるべきことは、物理的距離なのであって、社会的距離ではありません。ことにキリスト者は留意しておかなければなりません。
聖書にあります。「人が独り(孤独)でいるのはよくない」(創世記2章18節)と。最近日本の教会の中でソーシャル・ディスタンスという言葉に代えてフィジカル・ディスタンス(身体的・物理的距離)という表現が用いられるようになって来ました(まだそれ程広がってはいませんが)。人と人との関係が砂漠のようにならないように、人との身体的・物理的距離があればあるほど 隣人を想う心が強くなるようにと切に願い工夫してゆきましょう。
私たちキリスト者は何よりも神様を信じる者であります。「神様は御父はいつも私たちの側に居て下さる」ことを信じています。「コロナがどんなに強くても大変でも うちのお父ちゃんの方がもっと強いんやで!」固く心に決めて今日を生きる者です。
カトリックの処方箋
主任司祭 矢 野 𠮷 久
今回も献金について書きます。またか と思われる方もおられると思いますが、地上を旅する教会は浮世離れしたものであってはならず、信仰と生活が遊離してはなりません。現実をしっかり見つめることは必要です。教会活動の全ては信者の皆さんの献金によってまかなわれているのです。
献金は教会的な行為であります。会費や負担金ではありません。信仰の表現であり何より神様に対する感謝のしるしなのです。額の問題ではなく、自分なりに精いっぱいの気持ちがあれば良いのです。7月号の『かしの木』のこの欄で 創世記4章の“カインとアベル”のことに少しふれましたが、彼らが献げ物をする時のことを聖書を引用してその違いを知ろうと思います。「アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持ってきた。アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。」とあり 主なる神様はアベルの献げ物に目を留められたのです。(2-4節)カインは出来た作物をただ持って来て献げ、アベルは持っている羊の中で一番大切で良い物を献げたのです。神に献げ物を献げる心がまえが違っていました。新約聖書に 貧しいやもめの献金の話があります。イエス様が神殿の献金箱に献金を入れている人々を見て、その中で貧しいやもめがほんのわずかの献金を入れたことを「彼女は誰よりも沢山入れた。みんなはあり余る金の中から献金をしたが彼女は生活費の全部を入れたのだ」と言われ彼女をたたえました。(マルコ12章41以下,ルカ21章1以下)
旧約のアベルのように、新約の貧しいやもめのような気持ちを持って献金をしましょう。献金は支払うものではなく献げて納めるものです。神様に!!!
カトリックの処方箋(9月号)
主任司祭 矢野𠮷久
コロナウイルス感染症の猛威は収まりません。世界が何となくノアの箱舟になったような感じです。
7月の『かしの木』に 献金についてこれから学びましょう と書きました。その後プロテスタントの友人から、「コロナは長引きます。少なくとも1~2年はかかるでしょう。そうなるとつぶれる教会も出てきますよ」と言われ、「教会がつぶれる?!」とびっくりしました。カトリックとプロテスタントではいろいろ事情も違い一概には言えませんが、同じように信者の方々の献金によって教会は支えられています。
私たちのカトリック箕面教会の現実も厳しいものがあります。毎年教会への献金額は少なくなっており、今年はそれに加えて3カ月も公開ミサが行えず献金は大きく減りました。(信徒集会用の資料、特にP21~P28をよく読んで下さい)
献金は献げものです。何を献げるかという姿勢が問題です。精一杯の真心を献げる姿勢があれば、おのずと形に現れてくるものです。聖書に献げ物についての記述がはじめて出てくるのは創世記4章 カインとアベルの兄弟の献げ物のお話しです。二人の献げ物の真心を問う主なる神、そしてその後の兄弟のトラブル。献げ物(献金)は真心と意向が大切です。このことに無関心であってはいけないのです。旧約聖書によれば献げ物は神様の恵みに対する人間側の応答なのです。「土地から取れる収穫の十分の一は、穀物であれ、果実であれ、主のものである。それは聖なるもので主に属する」(レビ記27章30節)このゆえに「イスラエルの人々は穀物、ぶどう酒、油、蜜など畑のあらゆる産物の初物を大量にささげ、また あらゆる物の十分の一を大量に運んで来た」(歴代誌下31章5節)とあります。これにならってプロテスタントでは十一献金と言って、収入の十分の一を先ず神様に献げる方も多くいらっしゃるそうです。カトリックではそれ程まで強く言いませんが、その心意気はならいたいものです。さて新約聖書では献げ物(献金)についてどう言っているのでしょうか、次回に。
広報紙「かしの木」 7月号より
カトリックの処方箋
主任司祭 矢野吉久
人間は美しい弱めを持っています
それは祈ることと愛することです
アルスの聖ヴィアンネ
新型コロナウイルスの感染拡大が収まりません。私たちはとても厳しい状況に晒されています。
緊急事態宣言が出され、それに合わせて宣言が出された地域の教会はミサが非公開となりました。日曜日には教会へ行き、ミサにあずかり、み言葉(聖書)を聴き、ご聖体を頂くことが当たり前と思っていた私たちですが、ミサにあずかれない、教会に行けない、とは誰が想像できたでしょう。悲しくて、寂しくて、残念でなりません。
しかし、心にとどめておいて頂きたいことがあります。ミサは非公開であって中止しているのではないことです。ミサは日曜日は勿論、週日も捧げ続けられています。教会は祈り続けています。生きている全ての人々、亡くなった全ての人々のために。お休みではありません。「ミサ」と「教会の祈り」(聖務日課)と言われる時間ごとの祈りは司祭や修道者を中心に続けられています。その祈りの輪の中に皆さんも居るのです。今は密を避けて皆で集まらないだけです。お互いの姿は見えませんが心を合わせて共に祈りましょう。
ミサにあずかれない時、秘跡を頂けない時、私たちは信仰の先輩たちがやってきたことから学びを思います。その先輩たちとは、たとえば江戸時代のキリシタンたちです。迫害下200年以上に渡り司祭不在、秘跡もなく、しかし信仰を守り抜きました。守ることが出来たのは祈り続けたからです。ことに彼らは「ロザリオの祈り」と「こんちりさんのりやく」(完全なる痛快の祈り)を大切に繰り返し祈ったようです。今日「こんちりさんのりやく」の祈りは唱えることはありません。(主任司祭が文語の祈りを持っています。ご覧になりたい方はどうぞ)ロザリオの祈りは歴代の教皇様が勧めておられる祈りです。フランシスコ教皇様も祈ることを強く勧めておられます。聖書を読み祈ること。コロナ禍を生きる知恵と力をそこから汲み取りましょう。
新型コロナウイルスの感染拡大という事実を変えることは出来ませんが、その意味は変えることが出来ると信じています。その意味を祈りの中で見つけてゆきましょう。
コロナ禍をどう考えどう生きるのか、そのヒントになる本をご紹介します。
著者は前東京大司教区補佐司教
『「今を生きる」そのために 苦しみ、悩み、怖れ、無関心からの脱却』森 一弘 著 出版社:扶桑社 1500+税
(主任司祭の手許に少しストックがあります)
カトリック箕面教会の皆さんへ(5月巻頭言)
主任司祭 より
新型コロナウイルス感染症という怖い病敵に今世界中が震えています。そのような中 皆さんいかがお過ごしでしょうか。社会の中に生きる一員として「人から移らないため、人に移さないため」に出来る限り「家に居ること」を大切にしてゆきましょう。そしてキリスト信者として今この時、何よりも「祈る」こと「聖書を読む」ことを大切にしましょう。二月から長い間公開のミサが中止され、すべての典礼は非公開になり司祭が一人で行うことになりました。まさに「ミサ断食」と言えます。キリストと出会うミサ。そのミサに参加出来なくなり、多くの信者の方々がキリストに飢え渇く日々。それがこんなにも長く続くとは・・・。そのような日々であればあるほど「祈る」こと「聖書を読む」ことがとても大切なのです。ここに信仰の源泉があります。
「祈り」にもいろいろな型がありますが、ひとつのすすめは、旧約聖書の中にある“詩編”を祈ることです。詩編はもともと旧約時代に祈りとして作られたもの。イスラエルの民の歴史の中で起こった様々な出来事を通して祈ってきたものです。そしてイエス様もマリア様 ヨセフ様も、ペトロやアンドレ、パウロたちお弟子方も祈って来ました。教会はそれを受け継いで現代に至るまで詩編を祈ってきました。喜びの時、苦しみの時、嬉しい日、悲しい日、詩編で祈りました。詩編を自分の祈りとしてゆくことをおすすめします。
「聖書を読む」ことでは先ず何よりも福音書を素朴に読み そこにあるキリストのみ言葉に素朴に従ってゆこうとすること、キリストに倣うことを自分の生き方とするのです。コロナ感染症が世界中に広がっている今の時に信者としての生き方、在り方はキリストから教えて頂くのです。福音書以外には、エレミア書とその哀歌もおすすめします。バビロン捕囚(BC587)直前 エルサレムがバビロニア軍によって陥落し、国が亡ぶことを目撃した預言者エレミア。その苦しい辛い体験の中に神の慈しみがあることを彼は忘れません。同じくエレミアが記した哀歌も嘆きの中から生み出される希望の言葉が記されています。時代を超えて多くの人々を励ましてきました。苦しみの中でエレミアをはじめイスラエルの多くの預言者たちは神を信じ希望を持ちました。その希望を私たちも見出すために聖書を読みます。
新型コロナウイルス感染症の世界流行という事実を変えることはできませんが、この意味を変えることは出来ると信じています。皆さん「祈り」ましょう。「聖書を読み」ましょう。神が私たちの側に居て下さることを知り信じるために!
一日も早く皆さんとご一緒に喜びのうちに ごミサを捧げることができますように。
毎日のミサで皆さんのために祈っています。
矢野𠮷久
※150編ある詩編で苦しみの中で唱えるのにふさわしいものは以下のとおりです。
22.27.39.69.77.88.102.123.140.
他に 7.10.13.17.31.35.41.55.56.59.62.70.142
カトリックの処方箋
主イエス・キリストのご復活おめでとうございます
主任司祭 矢野𠮷久
喪の夜は明けました。週のはじめの明け方近く、マグダラのマリアはイエス様のお墓に行きました。数名の婦人たちもペトロもヨハネも行きました。そこで見たものはからっぽのお墓でした。そして信じました。主はよみがえられたと。からっぽのお墓を見た彼らは、からっぽのお墓の先に在るものを見たのです。心の深みで見たのです。そして信じたのです。主はよみがえられた!心臓が血液が悩がどうなったかとこだわっている限り復活はわかりません。サン・テグジュペリの有名な『星の王子さま』の中に、きつねと王子さまの対話があります。キツネが言います。「・・・心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」「かんじんなことは、目に見えない」と王子さまは忘れないようにくりかえしました。(岩波書店) この「見る」は「観る」という字がふさわしいかと。
復活の日の夕方にあった出来事をヨハネとルカは福音書の中で語っています。ヨハネの方は、復活したイエスは弟子たちに現れたこと(20章)ルカは二人の弟子がエマオに行く途中に復活のイエスと出会ったこと(24章)を伝えています。エマオの旅人について島崎光正というキリスト教詩人はひとつの詩を書いています。
「エマオ途上」
エマオ村に向う 足の重い二人の弟子に 復活よみがえりのイエスは加わった
それとは知れず 互いに 話はアネモネの花のように心にはずみ
虫ばまれた丸木橋の上では イエスが一番先に渡り
また三人で並んで旅をいった
コロナ禍という人生の重大な、そしておそろしい現実の中に在って不安になりますが、私たちもエマオの旅人の一人です。復活のイエス様が近づいて一緒に歩いて下さっていることを固く信じましょう。コロナの喪もきっと明けます。
四旬節に入りました 主任司祭 矢野 吉久
2月26日は、灰の水曜日でした。この日から四旬節に入りました。四旬節は、キリスト教徒にとって一年で一番大切な、復活祭を準備する季節です。約40日イエス・キリストの御受難と十字架のご死去を想い、祈りながら主の復活を祝う準備をします。そのため日常の生活を少し節制し節制した分を ”四旬節の愛の献金” とし捧げます。また四旬節は復活祭に洗礼を受ける方々の準備の日々であることも忘れないでおきましょう。洗礼を受ける方々と歩みを共にし、自分が受けた洗礼を思い起こし、信者として初心にたち返りましょう。
四旬節は、聖木曜日(今年は4月9日)の日没と共に終わります。そして「主の過越しの聖なる三日間」が始まります。主の晩さんのミサ(聖体制定の記念)、聖金曜日、この日のミサはなく、夕方、主の受難の典礼が行われます。聖土曜日ミサはありません。教会の祈り(聖務日課)のみ。但し、病者の塗油の秘跡と病者の聖体拝領はできます。日没からは、復活祭です。一年の中心、クライマックス。復活の聖なる徹夜祭の典礼は、光の祭儀ことばの典礼、成人洗礼と堅信、感謝の典礼が行われます。復活の主日のミサの中で幼児洗礼が行われ、復活の喜びは聖霊降臨祭(5月31日)まで続きます。
尚、四旬節中、毎金曜日9時30分から「十字架の道行き」の祈りが主聖堂で行われています。時間のゆるす方は是非参加しましょう。この時間に来られない方、あるいは一人で家で祈りたい方のために十字架の道行の祈りの本をおすすめします。
・「救いと希望の道」 ティモシー・ラドクリフ
元ドミニコ会総長 総長時代地球上のあらゆるところに行く。そこで目にした悲しみ、苦しみからの祈り。
・「聖母とともにする十字架の道行き」 ファン・ナヨン
この祈りの本も現代社会のゆがみ悲しみの現実に私たちの注意を向けさせるもの。
二冊とも深い祈りの本であり、希望を与えてくれるものです。
関心ある方は、梅田のサンパウロか矢野神父まで。
2020年1月
新 し い 年 に
主任司祭 矢野 𠮷久
暦が12月31日から1月1日になった途端にみんな一斉に「おめでとう」と言います。家の中も外も着る物も食べるものも新しいものに変わりました。子どものころ私はそれが不思議でなりませんでした。日付が変わったくらいで何故かと。ある時近所のおっちゃんが教えてくれたのです。「今は一人ひとりの誕生日でひとつ歳をとるが、昔は元旦にみんなで一緒に歳を取るんや、みんな揃って新しくなる、それで ーおめでとうー と言う」と。私はなんとなくわかったような気がしたことを覚えています。
教会に出入りするようになって「復活」のことを教えてもらうようになり、キリスト様の十字架の死とよみがえりを通して私たちも古い自分に死んで新しい自分へと生まれることを知りました。私にとってこの「復活」ということは元日の朝の「おめでとう」と結びつくのです。新しい年を迎え新しい人になる。そして新しい人になるために初心に帰ることが必要です。原点に戻る。能の世阿弥は「初心忘るべからず」『花鏡』と言う有名な言葉を残しています。茶道の千利休は「稽古とは 一より習い十を知り 十よりかへる もとのその一」『道歌』を残しました。これも「初心」に帰ることを教えています。
私たちカトリック信者としての初心、原点は何でしょうか。いろんな意見があるでしょうが、私は「素朴に聖書を読み、そこにあるキリストに素朴に従うこと。」と教えられ、そう信じています。そのために何をおいても「聖書を読む」ことと「祈る」こと、「初心」に「一」にかえって再出発するのが新しい年の初めです。
新年おめでとうございます。
2019年11月
死者の月
主任司祭 矢野 𠮷久
カトリック教会には11月を「死者の月」とし、亡くなった人々のことを思い、その永遠の安息を祈る伝統があります。亡くなった人々のために祈ることによって、いつか必ず迎えるであろう自分自身の死について想い、心の準備をすることになります。
「亡くなった人のためにどのように祈ったら良いのですか」と質問されることが度々あります。仏教の方ですと定まった型があり、それに従って行えば安心なのですが、カトリック教会では葬儀までは定式がありますが、その後は全く自由なので不安に思う方もいらっしゃるようで、上記の質問が出てくるのでしょう。
カトリック教会は、毎日の「ミサ」の中で死者のために忘れずに祈っています。「教会の祈り」と言われる聖務日課の晩の祈りの中で死者を思い祈ります。また伝統的に毎食後「死せる人々の霊魂神のあわれみにより安らかに憩わんことを。」と死者のために祈ってきました。
死者のために個人として、また家族やグループで祈る時におすすめしたいのは「詩編」で祈ることです。150編の詩編を順に唱えても良いのですが、とりわけ「回心の祈り」としての詩編、6、25、32、38、51、102、130、143はよりふさわしいものです。これ等の詩編を唱えてわかることは、亡くなった人に代わって、生きている私たちが神様に祈っているということなのです。
ロザリオ の祈りもすすめられます。「アヴェ・マリアの祈り」(天使祝詞・めでたし)をくり返し唱えますが、この祈りの後半は、人生の最後、死に臨む「時」を大事にするように促されています。「神の母聖マリア、わたしたち罪びとのために、今も、死を迎える時もお祈りください」と。母マリアよ、今だけではなく死を迎える時にもかたわらにいて下さい」と祈るのです。「主の祈り」とともに「アヴェ・マリアの祈り」も大切にしましょう。
身内の死者だけではなく、不幸な亡くなり方をした死者、忘れられた死者のためにも祈りを捧げましょう。亡くなった人々は今神様のみ前に在って、私たちのために祈ってくれているのです。
2019年9月
信仰のバトンリレーである堅信式
主任司祭 矢野 𠮷久
7月15日、聖母被昇天学院の聖堂で北摂地区大会があり、そのミサの中で50名近い方々が堅信の秘跡を受けられました。箕面教会からも12名の若者がこの秘跡を受けたのです。
箕面教会にとって大きな喜びでした。受堅者の殆どは幼児洗礼の方々です。
キリスト教入信は頭にお水を注いで頂き、キリストに結ばれる洗礼に始まり、そしていのちのパンである聖体を食べキリストに養われます。またキリストの弟子として自分の生活をもって証しし、キリストの協力者としてキリストと共に働き、キリストに遣わされる者として、神様の息吹、風である聖霊の恵みを頂くために堅信の秘跡を受けます。成人の洗礼ではこの三つの秘跡を復活徹夜祭のミサの中で受けます。それを入信の秘跡と言いキリスト教入信が完成します。
幼児の洗礼の場合は、カトリックの伝統で、この入信の秘跡をその人の成長にあわせて段階的に授けることになっています。先ず洗礼を、次いで聖体の意味がある程度理解出来るようになって(小2くらい)聖体を頂きます。
次に堅信の秘跡を受けるのですが、これはキリストへの信仰を自分で選び信者としてのつとめを引き受けることが出来る決断が必要です。年齢的には、中学〜高校生くらいが望ましいのです。幼児洗礼の人も堅信の秘跡を受けてキリスト教入信が完成します。堅信の秘跡は受けても受けなくても良いものではなく、キリストを信じ、キリストに従って生きてゆこうとする者にとりなくてはならない恵みの秘跡であり公の信仰告白なのです。信者の親は自分の子どもがキリストへの信仰をしっかりと選び取ってゆけるよう、そして自分の信仰のバトンリレー、信仰継承ができるよう、祈りを聞かせ、イエスさまのことを聞かせてください。信者の親の大事なつとめです。
堅信の秘跡を受けることで、洗礼によって始まったキリスト教入信は完成しますが、終わったのでなく、信仰生活の新たな出発であり信仰のバトンが渡されたのです。
2019年6月
カトリック信者の処方箋
主任司祭 矢野 𠮷久
『かしの木』4月号にご聖体拝領についての文章を書きました。その結びに「信仰は頭で考えるのではなく、具体的なことを具体的に生きてゆく中でわかってゆくものです」と述べました。その具体的なことを少し考えてみたいと思います。
ご聖体拝領は食事です。主の食卓を囲み、パンのうちにおられるキリストを食べること。ぶどう酒のうちにあるキリストの血を飲むこと。(主日の拝領は司祭が代表して頂きます。衛生のこともあって。)私たちの家庭を考えるとき、家族として親、子、時に祖父母がいます。日常の生活では家族はそれぞれの役割を担いそれを果たしています。その家族が家庭として表わされる場が食卓を囲む時ではないでしょうか。一つの食卓を囲み、会話をしながら同じものを分かち合い食べる。家族はそこに自分の居場所を見つけ安心し生きてゆく力をもらいます。しかし最近はこの食卓を囲むことが崩れて・・・・・・。
教会も同じです。それぞれの信者がそれぞれ自分の生活の場から主日に教会に集まり、皆同じみ言葉(聖書)を聞き、主の食卓(祭壇)を囲み、パンのうちに居てくださるキリストを分かち合い食べます。信者たちは主日の典礼(ミサ)の場で、信仰の共同体(家庭)を体験し表現するのです。主日の典礼(ミサ)を信者は何よりも大切にし、ここから信者としての力を頂いて来ました。私たち一人ひとりが主日の典礼を大切にしなくなった時、聖体拝領が孤食になった時、信仰は弱くなります。崩れてゆきます。
(つづく)
2019年4月
カトリック信者の処方箋
主任司祭 矢野 𠮷久
③ 少なくとも年に一度、復活祭のころに聖体を受けること。
今年は典礼暦の関係で復活祭が少し遅いようです(4月21日)。復活祭が遅い年は春の訪れも遅いとよく言われてきましたが、近年の異常気候でその言い伝えもあやしくなってきました。気候は異常でも私たち信者のカトリック信仰は、しっかりとキリストに結ばれた正常なものでなければなりません。そのための処方箋が「教会の掟」なのです。最小限これだけは大切にしましょうとの教会の願いです。
カトリック信者に限らず、すべてのキリスト教徒は復活祭を何よりも一番大切にします。私たちの罪のためにご自分の命を投げ出し、十字架にかかり死んでくださったキリスト、そして三日目によみがえられたことを決して忘れません。そのことを記念するために信者は主日ごとに教会に集まり、ミサを捧げ、み言葉を聞き、キリストの御体(聖体)を食べるのです。「主の死を思い、復活をたたえよう。主が来られるまで!」と。
なぜキリストを食べるのか。それはキリストに養われ、キリストに育てられ、キリストに結ばれ、キリストに似る者となるためです。食べるという行為は、とても具体的です。人は、食べないと死にます。信者はキリストを食べないとその信仰は死にます。少なくとも弱くなります。(勿論例外はあります)そうあって欲しくないので教会は大切な復活祭のころに大切な聖体をいただき、キリストとしっかり結ばれて欲しいと願い、この掟を定めたのです。キリストを食べ、キリストに生かされるのでなければ、キリストのご受難、ご死去、ご復活の神秘は分かりません。信仰は頭で考えるのではなく、具体的なことを具体的に生きてゆく中でわかってゆくものです。キリストの命をいただき、真に生きる者となりましょう。
(つづく)
2019年2月
カトリック信者の処方箋
主任司祭 矢野 𠮷久
②少なくとも、年に一度、ゆるしの秘跡を受けて自分の罪を告白すること。-その2-
かしの木11月号で、ゆるしの秘跡について話し始めました。その続きです。
信者はキリストと出会い、そのみ言葉を信じ、その言葉を生きようとする者です。大好きなイエス様の後を素朴についてゆく者です。そのために聖書、とりわけ福音書の中で言われているイエス様のみ言葉を、今日、私に言ってくださっていると受け取ります。そして自分の生き方の指針とし、またふり返ります。今日は、そのみ言葉の中で公生活の最後あたりに言われたいわばご遺言のような箇所を紹介します。
マタイ福音書25章31-45節、ことに40節:「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(31-45節全部を是非読んでください)。
マルコ福音書12章29-31節:「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しない。」「隣人を自分のように愛しなさい。」
ルカ福音書22章24-27節:最後の晩餐の席で、「あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。」
ヨハネ福音書13章34節:最後の晩餐の席で「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」
イエス様のこのみ言葉を大切にたいせつにしてゆきましょう。このみ言葉から遠くにいると気づいた時、ゆるしを願いこの秘跡に近づき、神様のゆるしを司祭を通していただきます。
自分で自分を、そして人を裁いてはいけないのです。神様にドーンと自分をゆだねて生きるためにゆるしの秘跡はあるのです。
※聖句は日本聖書協会発行「聖書 新共同訳」より引用
2018年11月
カトリック信者の処方箋
主任司祭 矢野 𠮷久
②少なくとも年に一度ゆるしの秘跡を受けて自分の罪を告白すること。
ヨハネ福音書の8章の冒頭に、姦通の現場で捕らえられ石殺しにされようとする女の話があります。イエスは人々に「あなたたちの中で罪を犯したことのない者がまず、この女に石を投げよ」と言われ、これを聞いた人々が一人また一人と去ってゆき、最後にイエスがその女に「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」と言われた。
人間はみな罪人なのだと、イエスはこの出来事を通し教えます。人間は弱さを持った存在であり、原罪という悩みのたねを自分の内に持っていることを聖書全体で語っています(創世記3章以下)。その人間を愛し救われてほしいと思う神の熱いメッセージが聖書です。
私たちは罪を犯すから罪人になるのでありません。罪人であるから時として罪を犯すのです。私たちが自分の内に持っている悩みのたね(原罪)が芽を出し姿を現したのです。それが私たちを苦しめます。その私たちを解放するために、イエス・キリストが十字架にかかり命をなげ出して、私たちの罪を引き受け死んで下さり救って下さった。そのことをキリスト信者は聖書と教会の伝承を通して知り、信じます。
そして、キリスト信者はイエス・キリストの死と復活を通して、「ゆるしがある!」「どんなに罪を犯しても神のゆるしがある」と固く信じます。そのゆるしの業をキリストは、教会を通して、秘跡を通して行われるとカトリック教会は教え、カトリック信者は信じています。先ず洗礼の秘跡を通し原罪とすべての罪のゆるしを、そしてその後ゆるしの秘跡を通して、ゆるしの業をキリストは行われるのです。
2018年9月
カトリック信者の処方箋
主任司祭 矢野 𠮷久
①日曜日と守るべき祭日(降誕祭)に、ミサ聖祭にあずかり、労働を休むこと。
全世界のキリスト信者は日曜日を主の日すなわち主日として守り、大切にしています。カトリック信者はミサ聖祭に、ギリシャ正教信者は聖体礼儀に、プロテスタント信者は礼拝にとそれぞれ教会に集まります。
この伝統は旧約聖書の出エジプト記20章、申命記15章にある神の十戒に基づくものですが、それは創世記2章1−3にまでさかのぼることができます。その目的は日常のあわただしさにおぼれ、人間らしさを失わないため、神が定められたものです。旧約時代、イスラエルの人々は週の終わりの日である土曜日を安息日としていました。新約になり、キリスト教徒は主イエスが復活された週の初めの日、日曜日を主の日、主日として祝い安息日とするようになりました。これは初代教会から大切にされてきた事です。
過ぎた一週間の恵みを神に感謝し、これからの一週間のために祝福を願い、自分の全てが神のものであることを認めて神を礼拝する。そのために主日に教会でミサを捧げます。1世紀後半に書かれた『十二使徒の教訓』に「あなたがたは、主日に集まってパンを裂き聖餐式を行うべきである」と指示されています。
ミサ聖祭は、聖書朗読を中心とした「ことばの典礼」とパンとぶどう酒の“しるし”を通して行われる「感謝の典礼」から成っています。「ことばの典礼」では三つの聖書朗読があり、三年間毎日曜日のミサに参加すると、聖書全体の大切なところを聴くことになるように聖書が配分されています。「感謝の典礼」では、パンとぶどう酒の“しるし”を通してイエス・キリストの死と復活を記念します。ただこの記念という言葉には注意が必要です。結婚記念、創立記念という時に使われている記念とは違います。二千年前エルサレムでの主イエス・キリストの十字架の死と復活の
出来事がパンとぶどう酒の“しるし”のもとにこの祭壇で再び行われていると信じることなのです。その出来事に私たちは深くふかく参与します。
主日や守るべき主祭日にミサ聖祭に参加することで私たちは聖書を通して主イエス・キリストから学び教えられ、聖体を食べて主イエス・キリストに養われ、人生の旅路を歩むことができます。言い尽くせない恵みを頂くのです。
やむを得ない場合は仕方がないのですが、主日や祭日のミサ聖祭を軽視することはとても残念であり、信仰生活の黄色(イエロー)カードです。
2018年7月
カトリック信者の処方箋
主任司祭 矢野 𠮷久
『かしの木』6月号で、私はカトリック信者としての基本的な心得を次回より学びたいと申しました。「教会の掟その真の意味は」をテーマにと。しかし、この「掟」という言葉は、何か厳めしく、人を縛るような、そしてそれを守れない者を罰し、罪に定めるようなイメージが強いように思われます。教会が定めた掟はそのようなものでしょうか。改めて五つの掟を読み直してみます。
(1)主日と定められた祭日(降誕祭など)にミサにあずかり、それらの日を聖とすることを妨げる仕事や活動を控えること。
(2)少なくとも年に一度ゆるしの秘跡を受けて自分の罪を告白すること。
(3)少なくとも復活節の間に聖体の秘跡を受けること。
(4)教会が定めた日に肉食を差し控え(小斎)断食(大斎)を守ること。
(5)おのおの分に応じて教会の財政を助けること(献金・維持費)。
この五つは、神の十戒のように神様から与えられたものではありません(出エジプト記20章、申命記5章)。母なる教会がカトリック信者に与えた指示であり、信者として最小限これだけは心得てほしいとする思いであり、信者生活処方箋のようなものです。この指示の真意を知り、「掟」の文字にとらわれることなく、母なる教会が愛をもって語りかける教えとして受け取りたいと思います。この「掟」は私たちを束縛するものではなく私たちの信仰が強くなるためのものです。教会のこの思いを大切にしながら「カトリック信者の処方箋」を学んでゆきましょう
2018年6月
初聖体のよろこびのうちに
主任司祭 矢野 𠮷久
聖霊降臨の祭日に、四人の子ども達が初聖体拝領の恵みを頂きました。(当初は6月の聖体の祭日に初聖体の式を予定していましたが、日曜参観と重なり四人揃うことがむつかしく聖霊降臨の祭日になりました。)
彼らは幼児洗礼を受け、初聖体の準備の勉強をしてこの日を迎えました。本人とご家族にとって大きな喜びであると共に、私たち箕面教会の信仰共同体にとっても大きな大きな喜びの日でした。
幼児洗礼は、本人の意思というより親と教会の願いの中で授けられます。初聖体もそれに近いものがあります。彼らが次に受けるのは堅信の秘跡です。これは中・高生の頃に受けます。洗礼も初聖体も一方的に与えられたものですが、堅信の秘跡は、カトリックの信仰を自分の意思で責任を持って受け容れるという意味があります。したがって初聖体を受けた子ども達が、しっかりと信仰告白をしカトリックの信仰を自覚をもって、喜んで歩んでゆく若者へと成長するように箕面教会の信仰共同体の私たちは、彼らの信仰を育ててゆく大切な務めがあります。
学校での勉強は子ども達の成長と共により高度なものになってゆきます。信仰教育も同じことです。聖書のこと、教会のことを成長と共により高く、深く、幅の広いものにし学んでゆかなければなりません。神様やイエス様のことの知識が初聖体どまりや堅信どまりであってはなりません。信仰の学びは生涯のものです。
箕面教会の信仰共同体が、ミサを何よりも大切にし、祈ること、聖書を読み学ぶことに熱心でありますように、そして子ども達や若者達がその中で信仰を育ててゆきますように。そのために大人達がカトリック信者としての基本的なことを心得ておくべきかと思い次回よりその心得を学ぶことにします。「教会の掟その真の意味は。」をテーマに。大人の信者が学ぶことによって信仰の喜びを子ども達にそして若い人々に伝えてゆくいわゆる信仰のバトンリレーを!!!
2018年4月
聖土曜日の十字架
主任司祭 矢野 𠮷久
皆さんは聖土曜日の聖堂をご存知でしょうか。この日ミサはなく、祭壇上に磔刑の十字架がぽつんと置いてあるだけで、花もローソクも一切の飾りがありません。シンプルそのものです。私はその十字架の前で座っている時間がとても好きです。そしていくつかの言葉を思いめぐらしています。
「君はDÉSERTION(デゼルシオン)という言葉を知っているだろうか。ある人の周囲から親しい人、親しそうに見えた人、味方、味方らしくしていた人が困難な事情に遭遇すると次々に、いつとはなく立ち去ってゆくことである」森有正(『流れのほとりにて』筑摩書房)イエスの孤独を深く想います。そして人間の現実を。
クロネコヤマトの創業者の小倉昌男さんは生前ご家族に「イエスがみんなの罪を救うために十字架にかかってくれたんだから」と口ぐせのように言っておられたとのことです。(『小倉昌男祈りと経営』森 健 小学館)十字架のイエスを見つめたその視点は必ず弱いものに、強いものにはいかなかった。晩年会社を退かれた後、福祉財団を作られ奉仕なさったそうです。自分も弱きものという自覚を持っておられたのでしょう。
15歳で進行性筋ジストロフィ症で亡くなった北原敏直君はこんな詩を残しています。
ぼくがクリスマスの 詩をかくのは
キリストが十字架に かかったことが
あまりにもぼくたちに 関係ありそうな 気がするからだ
病気という十字架を せおわされたぼくたちに
どう生きたらいいかを おしえてくれる
そうなんだ
ぼくがクリスマスの 詩をかくのは・・・・
短い生涯を覚悟して一日一日を生きていゆく少年のあまりにも切実で鮮烈な心の有り処、十字架刑のむごさと苦しみを自分の出来事としている者のみが、つむげる言葉とこの詩を評した方がおられます。
なんの飾りもない聖土曜日の十字架です。しかしその十字架から強烈なメッセージを頂くのです。
キリストは死んだ、しかし人間というものは死によって終るのではない、死を超えて生きる存在であると十字架を教えます。
死を通して、死に打ち勝ってキリストは復活した。よみがえった。十字架の先にある出来事をしっかりと心の目で見つめてゆきましょう! 復活節はそのためにあるのです。
2018年2月
悲しみの聖母 (5)
主任司祭 矢野 𠮷久
2月2日教会暦は“主の奉献”を記念します。この日、母マリアは年老いたシメオンから神殿で、悲しみの人となることを告げられるのです。シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。―あなた自身も剣で心を刺し貫かれます―多くの人の心にある思いがあらわにされるためです」(ルカ2・34-35)この悲しみの母としてのマリアの姿は、イエスの十字架上のみ言葉によってマリアが、私たちの母として、私たちの悲しみに寄り添う方として与えていただくことになりました。イエスは母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です」その時から、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。(ヨハネ19・26-27)イエスの誕生から死までの母マリアの歩みは単なる親子の悲しみの歩みにとどまらず、私たち人間の悲しみに寄り添う歩みでもあり、その歩みは現代まで続いています。
希望を失っている人々、不安の中にいる人々、社会の中であるいは家庭の中で片すみに追いやられ、希望も助けもなく、のけ者にされている人々とも母マリアはかたわらに居て共に歩んでいると信じます。
昨年、教皇フランシスコが世界に配布してほしいと願われた写真をご存じでしょうか。それは今年1月3日に朝日新聞にも掲載された「焼き場に立つ少年」の写真。原爆投下後の長崎で亡くなった弟を背負って火葬の順番を直立の姿勢で待っている少年。歯をくいしばって悲しみを押し殺して立っている少年。この一人の少年の写真を教皇様はご覧になり心が深くゆさぶられ、1月1日の世界平和の日に際しこの写真を全世界の人々に配ってほしいと。そしてこう言われたそうです「すべての戦争の結果はこれだ!」と。この少年のかたわらに涙でいっぱいの母マリアが立っておられるように思えてなりません。
悲しみの聖母を聖堂名に頂く箕面教会の皆さん、この名が私たちに示す意味を考えましょう。そして私たちの間から悲しみが少しでもなくなることが出来ますように祈りかつ働きましょう。
ナミダ ハ
カミサマ ガ
オワカリニ ナル
コトバ
ゴードン・ジェンソン
2017年12月
悲しみの聖母 (4)
主任司祭 矢野 𠮷久
12月、私たちは主のご降誕を待ちその準備をする待降節を歩み、そして、神が歴史の中にお生まれになった受肉(託身)の神秘を降誕祭として大きく祝います。「夜のしじまがすべてを覆うとき、神よ、あなたの言葉が天から下った。」と(知恵の書18・14・15)
しかしイエスの誕生の影に大きな悲劇があったことを忘れてはならないのです。12月28日教会は幼子殉教者を記念します。イエス誕生の時、東方の三博士がエルサレムにやって来て「ユダヤの王としてお生まれになった方はどこに?」とヘロデ王に問い、王は自分の地位が危ういと思いベトレヘム周辺の二歳以下の男の子たちを殺した。イエスはこの出来事の前にヨセフに夢でお告げがありエジプトへ避難したとマタイ福音書は伝えます。(マタイ2章)
この悲しい出来事をどう受け取ったら良いのでしょうか。人間を救うために誕生されたはずなのに・・・・。沢山の罪のない幼い子どもが殺されてしまった。何故か、イエスの誕生はこの問いからはじまりました。しかし、問うてすぐに答えが出るものでありません。私たちの人生も問うて簡単に答えがあるものではありません。母マリアのように「マリアはこれらのことをすべて心に納めて、思い巡らしていた。」(ルカ2・19・51)と福音書にあるように私たちも心の深いところで我が身に起こった出来事を思い巡らしながら人生を歩むのです。悲しみの聖母とともに。
小児科医の細谷亮太さんが『いつもこどものかたわらに』というご著書でこう書いておられます。「それにしても、イエスとその両親はなんと悲しい運命を背負わされたのだろうと思った。自分が救い主として生まれたばかりに沢山の罪のない赤ちゃんが殺されたという事実を知りながら育たなければならなかったイエス、殺された赤ちゃんの家族の悲しみと怒りを感じながらイエスを育てたマリアとヨゼフ、辛かっただろうと心底思った。」(白水社P197)この方はキリスト信者ではありません。
クリスマスの喜びの中にあって、戦争や難民としてまた、虐待やいじめにあって命をうばわれる子どもたちがいます。その子どもたちのことを私たちは忘れてはならないのです。祈ることとともに何が出来るかをさがしましょう。
2017年10月
悲しみの聖母 (3)
主任司祭 矢野 𠮷久
若松英輔という批評家で随筆家の著書に、『かつて日本人は、「かなし」を、「悲し」とだけでなく、「愛し」あるいは「美し」とすら書いて「かなし」と読んだ。悲しみにはいつも、愛(いつく)しむ心が生きていて、そこには美しとしか呼ぶことができない何かが宿っているというのである。』① また別の著書の中でも、『「悲し」「愛し」「美し」「哀し」はみな「かなし」と読む。詩人の中原中也は「愁し」と書いて「かなしい」と読ませている。五つの別種の「かなしみ」があるのではない。「かなしみ」にはいつも「悲」「愛」「美」「哀」さらに中也であれば「愁」という言葉で語るべき実感が折り重なっている。』②
聖母の悲しみを想う時、若松さんのこの言葉が心に響きます。
伝統的な聖母の七つの悲しみについては、『かしの木』の8月号に書きましたが、聖母の悲しみの出来事はその七つに限られるのではなく、現代の世界中の人々の悲しみと深くつながってゆくものです。
マリアはお告げを受け、その胎にイエスを宿したとき、未婚の母となりました。未婚の母に対して当時も今も人々は厳しい目で見つめます。イエスが生まれた時、そのゆえにヘロデ王がイエスを殺そうとし、ベトレヘムで二歳以下の子どもたちを殺害しました。マリアの悲しみ、殺された子どもたちの親たちの悲しみ、そしてその難をのがれてエジプトへ脱出、難民となったのです。今世界中にいる難民たちの深い悲しみとマリアの悲しみ、難民の母となりました。イエスの死刑、マリアは死刑囚の母となりました。家族の中に死刑囚が、まして自分の子が・・・・。犯罪人や死刑囚の母親は今も大勢います。世間の目をさけてかくれて生きている母親たち、マリアはそのお母さんたちとつながっています。マリアの悲しみは今も涙いっぱいの人たちと共に居ます。 つづく
①悲しみの秘義 ナナロク社P009
②言葉の羅針盤 亜紀書房P29
2017年8月
悲しみの聖母 (2)
主任司祭 矢野 𠮷久
箕面教会は、“七つの悲しみの聖母”に捧げられた教会であることを前回申し上げました。
ある方から、七つの悲しみとは何かとご質問を頂きましたので、ご存知の方もおられるとは思いますが今回はそのことについてお話しをします。
“悲しみの聖母”についての信心は、13世紀にイタリアのフィレンツェで創立された聖母のしもべ修道会から始まり、ヨーロッパに広がり、日本にはキリシタン時代に伝わりました。阪急中津駅の近くにある南蛮文化館には、この時代にイタリアで描かれた“悲しみの聖母”の絵が二つ保存され展示されています。それはとても美しいものです。江戸時代に鎖国の禁を破って日本に宣教にやって来てすぐに捕えられた、J・Bシドッチ神父も“悲しみの聖母”のご絵を持って来ており、その絵は東京国立博物館で保存、展示されています。そのレプリカは東京教区碑文谷教会の聖堂に安置されています。(シドッチ神父については『カトリック教会情報ハンドブック2017』のP28以下に詳しく述べられています)
聖母のしもべ修道会が広めた聖母の七つの悲しみは次の通りです。
1.シメオンの預言(ルカ2・22-35)
2.エジプト避難(マタイ2・13-15)
3.イエスの行方不明(ルカ2・41-52)
4.十字架の道においてのイエスとの出会い(教会の伝承)
5.イエスのご死去とその十字架のもとにたたずむ(ヨハネ19・25-30)
6.イエス十字架より降ろされ、そのなきがらを抱く(教会の伝承、ピエタ)
7.イエスの埋葬(ヨハネ19・38-42)
この七つが聖母の七つの悲しみと伝えられロザリオや道行も作られましたが、聖母の悲しみは現代社会にある多くの人々の悲しみや涙いっぱいの出来事と深くつながっているとの考えから、カトリック教会は七つに限定せず、現在の典礼では“悲しみの聖母”という呼び方で記念します。
次回はこのことを考えてみます。
2017年4月
悲しみの聖母
主任司祭 矢野 𠮷久
箕面教会の聖堂を入ってすぐ左側に、聖母マリアのご絵が掲げられています。そのご絵の名は“悲しみの聖母”といい別名“親指のサンタ・マリア”とも。箕面教会の信徒の方が描き奉納して下さいました。
数歩下がって少し右の方から拝するのが良いようです。この絵が奉納された時、私はとても嬉しく思いました。箕面教会は桜ケ丘に聖堂が献堂された時(1953年)“七つの悲しみの聖母”に捧げられ、一時期“慈悲の聖母”名称が変わった時もあったようですが、カトリック中央協議会発行の『カトリック教会情報ハンドブック』によると箕面教会は、“七つの悲しみの聖母”に捧げられた教会になっています。(P.189)ただ箕面教会にはその名称にふさわしいマリア様の姿がありませんでした。悲しみの聖母のご絵を聖堂にほしいと箕面教会に赴任した時から思っていました。
箕面教会を創立された、フランシスコ会サクソニア管区(ドイツ)の司祭方がどのような思いで教会名にこの名称をつけられたのかは定かではありませんが、私たちの教会がこのお名前を頂いていることは、北摂・箕面の地での宣教・司牧を考えてゆく上でとても意味の深いことと思われてなりません。同じ敗戦国のドイツ人として戦後間もなくこの箕面の地で宣教して下さった司祭方の熱い思いはこの“悲しみの聖母”の名に託されていると思います。その宣教師方の思いをしのびながら、未来に向けて箕面教会の宣教・司牧を考えてゆきたいと思います。
(以下 つづく。)
2017年2月
返せないほどの祈りと犠牲に支えられて
~司祭叙階という恵み~
司祭 豊田 貴範
司祭職への召命は、聖堂における奉仕から聖体への奉仕へと続くものと神学校で学びました。2年の哲学科を終えると、認定式によって正式に大阪教区の神学生と認定され、年ごとに朗読奉仕者、祭壇奉仕者と選任されます。この選任によって、候補者は、みことばへの奉仕、祭壇への奉仕を通して聖職にあずかる準備をしていきます。そして、助祭叙階によって聖職者としての一歩を踏み出し、先のみことばへの奉仕よりも一歩進んだ福音への奉仕と愛の務めに専念することが求められます。
「叙階」という言葉が「人の上に‘上る’のではなく、仕えるために一歩降ること」とも学びました。
司祭職は自分がなりたいという思いだけでなれるものではありません。司祭職への召命の歩みの中で大切なのが、神の招きと同時に共同体からの選びと祈りといわれます。本人の自由な同意はもちろん大切なのですが、それは先の二つの大切な要因に比べると確認作業のような印象さえあります。
以上のことを考えると、聖職者とは、ある人とキリストとの出会いの間で奉仕する黒子のような存在だとわたしは捉えています。黒子になる歩みは、自分の人間的な限界のうちに回心し続ける一生涯の歩みと心得ています。
司祭叙階の恵みにあずかるにあたり、神学校に通って以降、多くの方々の祈りと犠牲と奉仕によって、取るに足りない自分が支えられてきたという事実に、私は戸惑いを隠せません。頂いたから返礼するといったような簡単なものでなく、大きすぎて返せないものだからです。
これまでの至らぬ私の歩みに、聖なる三位の神様と特に箕面教会共同体の皆様に深く感謝し、同時にこれからの歩みに対して、働く全ての司祭のために祈りによって支えて下さるようお願い申し上げます。司祭職は、悪の勢力と時代に翻弄されながら、道なき道を、荒れ野を歩む旅路に似ると思うためです。
2017年2月
ユスト高山右近列福に寄せて
主任司祭 矢 野 𠮷 久
日本のカトリック信者の念願であったユスト高山右近が福者に列せられ“福者ユスト高山右近”として祭壇で公に記念し祝うことが出来るようになりました。私たち日本のカトリック信者にとって大きな喜びであります。
高山右近については、これまで幾つかの小冊子で出されており、とりわけ昨年皆様にお配りした『右近と歩む祈りの旅』(日本カトリック司教協議会列聖推進委員会)は右近の人となり、生涯、信仰について大変よくまとめられています。ご再読をおすすめします。
また、今年の大阪カトリック時報1月号に、前田大司教様の年頭書簡である『新生の日メッセージ』に―いつくしみを右近に倣い再新生―として右近から何を学ぶかを分かりやすく書いて下さっています。是非お読みください。大司教様はこのメッセージの中で右近のことを、「祈りの人、慈悲の人、寄り添いの人、宣教の人」と言っておられます。この四つのことは、右近の生きた400年前の時間を越え21世紀を生きる私たちカトリック信者も決して忘れてはならない大切な事柄ではないでしょうか。大司教様は言われます。右近に倣って「祈りかつ働くいつくしみの福音宣教を!」と。2018年は大阪教区再宣教150周年に当ります。右近の列福をお祭りさわぎのイベントに終らせるのではなく、大司教様の呼びかけに応え、右近からその信仰を学びつつ今を生き、福音宣教の歩みをしっかりと進んでゆきましょう。
福音宣教とは、信者の数を増やすことが第一の目的ではありません、勿論それもおろそかにして良いのではありませんが、何よりも私たちカトリック信者が、社会の真只中でパン種となって社会の福音化のために努めることであります。すなわち、主イエス・キリストの教えられた、愛すること(大切にすること)、ゆるすこと、分かち合うことを生き伝えてゆくことではないでしょうか。そのために先ず聖書を読み、祈り、右近をはじめ信仰の先輩方から学んでゆくのです。
福者と聖人の違い
詳しいことを述べると長くなりますので簡単に申します。
列福され福者と呼ばれる人は、その人ゆかりの地域(高山右近の場合、日本やフィリピンの教会)や修道会で記念し祝います。
列聖され聖人と呼ばれるようになると全世界で記念され祝われます。
尚、ご像やご絵で頭に光輪を描くのは福者からとなっています
2016年12月
箕面教会には鐘があります。この鐘のことを“アンジェラスの鐘”と言います。
毎晩6時に鐘が鳴りだすと、近所の犬たちが一斉にワンワンと鳴き始め、鐘が鳴り終るとピタッと鳴き終ります。鐘と一緒に“お告げの祈り”をしているのか、鐘に賛成しているのかはたまた反対しているのか・・・。これが365日毎日で、とにかく賑やかで楽しいことです。
箕面教会の鐘については『かしの木』の11月号に詳しくしるされているので省きますが、カトリック教会が鐘を鳴らして“お告げの祈り”をするようになったことについて少しお話をします。
「始めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」ヨハネ1.1,14(新共同訳)「初めにあったのは、神さまの思いだった。思いは神さまの胸にあった。その思いこそ神さまそのもの」「神さまの思いが、こうして人の体をまとって、われらが間に住いしなさった」(山浦玄嗣訳)
“神が人となった”このことを“受肉の神秘”といいます。古い表現では“ご託身の奥義”と言いました。よくよく考えるとこれはとてつもない出来事です。人間の方に神が近づき降りに降りてこられ、私たちと同じ人となられたのです。神さまがご自分の思いを人に伝えるためです。愛すること、ゆるすこと、分かち合うこと。そして本当に仕合せになってほしいと。
この“受肉の神秘”を人々に思い起こさせるために、13世紀に聖ボナベントゥラというフランシスコ会士が毎晩鐘を鳴らしアヴェ・マリアの祈りを唱えたのがはじまりです。やがてこの習慣は全世界に広がりお告げの祈りとして信者の中に定着してゆきました。
待降節は、神が人となられた出来事を静かに思いめぐらしそのご誕生を準備します。そしてご降誕祭でその喜びを大きく大きくお祝いし、降誕節の間その喜びを記念します。
箕面教会の近隣には殆ど信者は居ませんが、しかし、毎晩鐘を鳴らしてキリストを知らない人々にキリストを伝えているのです。キリストの教会ここに在りと、福音を伝える役割を担って。
今の処、犬たちだけが応えてくれています。
(※ アンジェラス。お告げの祈りの冒頭がラテン語のAngelus Domini で始まることによります)